院長紹介Introduction

院長 太田幸典の紹介

はじめまして、院長の太田幸典です。
縁あって、この地に開業させて頂くこととなりました。
地域に密着した、『通いたくなる歯科医院』をつくっていきたいと思います。 患者さまの立場に立って、少しでもご自分の歯を保って頂く治療を心がけてまいります。
ご質問などありましたら、お気軽にお尋ねください。 どうぞ宜しくお願いいたします。

皆さんへ

歯は悪くなったら歯科医院へ行く、それから、治療すればいいという考え方が結局、自分の歯を早く失うことになってしまいます。歯は老化ではなくなりません。 私たちは、「少しでも長く、ご自分の歯を保っていただく」ことを一番に考え、「患者さんと一緒に考えていく治療」を目指します。正しい治療・予防を行えば、生涯を通じて自分の歯を守ることができます。 スタッフ一同、患者さまに「正しい情報」と「質の高い治療技術」を提供していきたいと考えております。

院長略歴

  • 県立浜松西高校卒業
  • 北海道医療大学卒業
  • 浜松市中区小豆餅 医療法人山口歯科医院勤務
  • 2011年 太田歯科開業

所属学会

  • 5-D Japan
  • 日本口腔インプラント学会
  • 浜松臨床歯科研究会
  • 浜松臨床を語る会
  • 日本口腔ケア学会
  • 静岡県口腔インプラント研究会
  • DMC会員
  • SPIS(Shizuka Perio Implant Study)

活動日記

患者さまに常に最良・最善の治療を受けていただくために、ドクター及びスタッフはセミナーなどに積極的に参加し、スキルの向上に励んでいます。

2013年

  • 愛知インプラントセンター(年間コース)修了
  • スタディグループDMCにて発表(6月)
  • 浜松臨床歯科研究会にて発表(9月)
  • スタディグループSPISにて論文抄録(11月)
  • スタディグループWORDSにて発表(11月)
  • スタディグループDMCにて発表(12月)

2014年

  • 修練会 Review RPD 修了

2016年

  • 5-d ファンダメンタル 歯内・修復コース 修了

2017年

  • DIRECT RESTORATION ACADEMY OF COMPOSITE RESIN 受講中

院長の生い立ち

私は浜松市北区三ヶ日町で生まれ、高校卒業までを三ヶ日町で過ごしました。
私の母方の実家は代々建設業を経営しており、両親とも家業に従事する環境の中で育てられました。
幼少期は建設業華やかりし頃で両親ともに非常に忙しく、そんな両親の目を盗んでは奔放に遊び回っていました。そのせいもあってか活発(わがままともいう(笑))に育ち、友達を連れてはよくいたずらをしたりする子供でした。

ただ、体はそれほど丈夫な方ではなく喘息もあったので、少しでも良くなればと2歳の頃から水泳を始めました。運動神経が良くなく早生まれで体も小さかった私ですが(クラスで2番目に小さかった)、水泳だけは向いていたようでどんどん上達していきました。

両親は共働きで忙しかったですが、祖父・祖母が送り向かいをしてくれたので、毎日スイミングに通うことができました。た車の中で会話することが楽しみで毎日きつい練習に耐える事ができましたし、忙しい仕事の合間、試合には毎回来てくれた両親に良いところを見せたく、がむしゃらに練習に打ち込んだことを今でも思い出します。練習量に比例してどんどん実力がついていきました。色々な人からチヤホヤされることがとても嬉しく、更に水泳にのめり込んでいき、勉強そっちのけで水泳の練習に打ち込みました。そして、中学時代には100Mバタフライの種目で県大会優勝することができました。

水泳が私のすべてでした。水泳を通じて、やると決めたことは最後までやり抜くという私の行動スタイルの基本がこの頃出来上がったと思います。

水泳の大会は、その当時一番新しかった湖西にある浜名湖スイミングでやることが多く、西部選抜の合同練習も湖西でよく行われていました。 合同練習は朝だったので、練習後によく湖西で遊びました。クックマートの中にマクドナルドやアサヒヤやカラオケボックス・平太郎があって皆と多くの時間を過ごしました。その頃は、グランドホテルやおもちゃ屋もあり、三ヶ日出身の私にはとても活気がある街に映りました。色んな場所で合同練習があり練習後の時間をその場所その場所で過ごしましたが、湖西が一番楽しく、また来たいと思う街でした。湖西の人と触れることが多くあり、優しく穏やかで人情味の溢れた方や昔から住んでいる人が多く、湖西に愛着を持っている人が多いと感じました。自分が住んでいた三ヶ日に似ている気がしました。

そのような経験があり、このずっと先に歯科医として開業地を決める際、患者さんと長く付き合える場所として最初に浮かんだのが湖西でした。

高校は県立浜松西高校に進学しました。中学では僅か0.09秒の差で全国大会に行けず、さらに県大会終了後に家の庭で転倒し右腕を骨折してしまい、高校に行っても水泳を続けましたが、けがの影響もあり結局高校ではリレー種目でしか全国大会に出場することしかできませんでした。

個人で全国大会に行けず失意の中、大学進学に向けて勉強に取り組みました。とはいうもののそれまで水泳ばかりやってきたので学業成績は下から数えて何番目という悲しい現実がありました。大学入試に失敗し、1年間の浪人生活を余儀なくされました。

浪人時代は福岡の寮に入り勉強の日々でした。将来に悩んでいた時に尊敬していた歯科医師の叔父からの一言「患者さんから有難うと言われる仕事は、とってもやりがいがあるぞ。大学中に将来を考えるのもいいが、大学で専門的なことを学ぶのも楽しいと思う」。そして自分で歯科の事を調べるうちに、最初から最後まで自分で出来る歯科の仕事に関心をもち、患者さんのQOLにすごく影響する仕事に魅力を感じました。

私は虫歯が多く、今でも口の中は銀色の被せ物でいっぱいです。当時は何も説明もされず被せられました。そういった経験からも、しっかり説明をしていく歯医者を目指そうと誓いました。目標が決まったことにより勉強に集中することができた。

水泳で培った持ち前の集中力で勉強に取り組み、翌年には無事北海道医療大学に合格することができました。

大学では歯科医としての知識・技術を必死に身に付けました。また、食べ物がおいしい北海道で脂肪もしっかりと身に付け20キロも体重が成長しました。家や安い居酒屋で友人とお酒を飲みながら色んな事を語り合い、一生涯の友人ができました。

国家試験に向けての学習を着々と進めていきましたが、憧れる父・祖父と一緒に仕事をしたい気持ちもあり、家業を手伝うべきかの迷いもありました。しかし歯科医になると自分で決めた以上、最後までやり抜こうと決め、また両親も私の歯科医になるという意思を尊重してくれ、歯科医に向かって歩く私の背中を押してくれました。いろんなことがあった中でも私の希望を優先してくれた両親にも応えるべく、歯科医師になることが出来ました。

最初に勤務する歯科では、(入れ歯・エンド・補綴・インプラント)すべてが出来る歯科に勤務したいと考えていました。それは、一つのことが出来ても他が出来なければ意味がなく、患者さんはおいしく食事をすることができないからです。色んな患者さんに対応できなければ、地域に根付いた歯科医院になれないからです。運よく私の知り合いの先生が紹介してくれた山口先生は、私が今でも歯科医師として社会人としてもとても尊敬している先生で、歯科医師の先生が患者として通うほどの先生です。

勤務医時代の6年間は技術向上のために時間も費用も惜しみなくつぎ込みました。山口先生は積極的に勉強会に参加しており、私も一緒に参加し、多くの知識を得ることができました。今でも第2週の水曜日 DMC 第3週の水曜日 WORDS 第4週の水曜日 浜松臨床研究会 隔月でSPISで勉強しています。日曜日は年間コースに参加しています。

医療は日進月歩です。一生、勉強です。知らないでは済まされない。その言葉を胸に刻み、今後も努力していくつもりです。 勤務医時代に歯科技工士であった妻と大恋愛の末に結婚し、生涯の伴侶を得たことで開業の準備を進め始めました。

しかし、金融機関に開業資金の相談に行きましたが、自分の開業計画を認めてもらえずなかなか融資のOKが出ません。結局、別の金融機関に私の経験や腕を評価いただき、2011年に開業することができました。

開業する時に決めたこと、

  • 患者さんと長く付き合っていきたい。
  • 1口腔内で診療したい(口全体をみていく)。
  • しっかり説明をして、治療をしていく。…私の口腔内は銀歯だらけ。思春期の時に何も言われず、銀歯を入れられた教訓から。
  • 笑顔がある歯科医院にしたい…小さい頃、歯医者が怖かった時、スタッフがとても優しかった記憶があるので。

開業に至るまでも決して順風満帆ではありませんでしたが、開業後は「私自身が受けたい治療を提供したい」をモットーに治療にあたり、歯科医師になって気付いたことで「皆が笑顔だと、自然と自分が笑顔になるし、自分が笑顔でいると皆が笑顔になる。」それがとても大切だと思っています。 太田歯科の理念は

  • 私自身が受けたい治療を提供する
  • 皆が笑顔、自分が笑顔

今後も、妻やスタッフとともに『一生涯、皆と付き合っていく歯科医院』を目指し努力してまいりますので宜しくお願いいたします。

太田歯科 院長太田幸典